僕は、いろいろなところで、
子ども達や大人に向けて絵本を読んでいますが、
常にいつか絵本が読めなくなる日が来るのではないか、
という恐怖感と一緒に活動をしています。
そこにある絵本を読むだけだから、
だれでもできる簡単なことでしょ、
って、思う人も多いと思います。
実際、そうなのかもしれません。
でも、思うのです。
僕の読んでいる絵本が、
子ども達に楽しんでもらえない絵本だったら、
なぜ、僕はその絵本を選んでしまったのか、
そこに生じた「ズレ」は、
ひょっとすると二度と取り戻せない、
「ズレ」になってしまうかもしれない、
その時には、絵本を読むことを止めなければ、
いけないかもしれない、
まだ、娘さんと倅さんが小さい頃、
この子達が小さいウチは、
子どもの視点を目の前で観ることができるから、
大丈夫だと思っていました、
そこから随分経ちましたが、
まだ、子ども達に僕の選ぶ絵本は、
楽しんでもらえています。
まだ、大丈夫、まだ、大丈夫、
で、なんとかここまで歩いてこられました。
あと何年、子ども達と一緒に歩いて行けるのか、
そのためには、子ども達の感性に少しでも寄り添えるように、
自らの視点を問い続けていかなければいけません。
実は、子どもと絵本を読むという行為は、
老いとの戦いだったりもするのです。
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