こどもの世界は不変ではない、


というのは、あたりまえのことですが、
どうも、一部の大人の中には、
子ども達を不変的な存在として捉えておきたい
傾向があるように感じます。

2009年にモーリス・センダックの『かいじゅうたちのいるところ』が映画化された際、
一部の原作ファンから、主人公のマックスの置かれている環境について批判がの声が上がりました。

映画の中のマックスは、母子家庭で兄弟、
母には新たな恋人がいて、年の離れた兄は、友だちと遊ぶことに夢中で、
家庭の中で孤立している存在として描かれていました。

そんな、描かれ方に「かわいそう」や「違和感がある」と
コメントした方々がいたのを僕は知っています。

しかし、2000年代においてすでに家族の離婚や子どもの孤立という課題は、
表出しており、そのような子ども達をどのように社会的にケアしていくのかということは、
議論がなされ、現代まで続いています。

一部の児童文学の愛好家の中には、
このような状況を知りつつ、そこに向き合うことはせずに、
子ども達の文化を語り、絵本の素晴らしさについて説こうとする人がいます。

個人的には、そのような大人達というのは、
自らの「理想の子ども像」の中に子どもを閉じ込め、
社会と向き合おうとしていない「ズルい」人たちだと思っていたりします。

子どもの今と向き合い、子ども達とともに歩む中で、
絵本を手渡す、生の子ども達と向き合う大人の力が、求められているのです。



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