言葉を扱う者の一人として


最近、プライベートでちょっと残念なことが続いていて、
ちょっとした愚痴です。

僕は、子ども達に絵本を読む者として、
子どもと言葉との関係性を大切にしているつもりです。

しかし、大人が自身の都合で、言葉の揺れを利用して、
子ども達の行動をジャッジしようとする行動に強く違和感をおぼています。

ましてや、その言葉の揺れを作ったのが、
他ならぬ大人の側であるにも関わらず、
子ども達が、その揺れに違和感を覚え、声を上げたときに、
大人であることだけで、
子ども達の考えを否定する行為は、
「ズル」以外の何者でもなく、
大人として、その行為を恥じるべきだと思います。

大人という圧倒的に有利な立場を利用して、
子ども達を否定する行為は、
結果として、子ども達のモチベーションを下げるだけではなく、
将来的な、発展を阻害し、優秀な人材の海外流出など、
今の社会の停滞を招いた原因の一つであると言えるでしょう。

僕たちは、そうやって大人に否定されて、
成長したはずなのに、大人になって何かを忘れて、
子ども達の素直な感情の動きを否定してしまうことで、
同じことを繰り返そうとしている。

そんな大人になっちゃいけないし、
子ども達を守るのは、僕たちの役割じゃないのですか?


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