絵本に対する「残酷」という評価について


早川書房から、川上未映子さんの新訳で
『ピーターラビットのおはなし』が出版されたのは、
2022年3月のことでした。

シリーズ全作を川上未映子さんが訳されると言うことで、
話題になりましたし、今も刊行が続いているところです。

さて、今日はそのピーターラビットのおはなしから、
ピーターラビットのお父さんだたどった運命、
マクレガーおばさんにパイにされてしまったことについて少し、
考えたいと思います。

早川書房版のピーターラビットのおはなしの中では、
しっかりとピーターラビットのお父さんが、パイになってしまっている絵が使われており、
1902年の初版のものを底本としていることがわかります。
対して、石井桃子さん翻訳の福音館書店版が1971年に出版したものは、
1903年の第5版を底本にしており、この絵はカットされています。

これは、当時子ども達にとってこの描写が「残酷」だとの意見があり、
カットされた経緯があるのですが、
今回の早川書房版の出版にあたり、この「残酷」だという意見が一部聞こえてきます。

曰く「この絵の描写だけ過去の描写で違和感を覚える。」といい、
文字の描写だけで十分では、との意見があります。

果たしてそうでしょうか?
そもそも、過去の描写で違和感を覚えるというのであれば、
文字の描写も必要ないのでは?と思いますし、
そうすると、そもそもピーターのお父さんのエピソードが不要なのでは、とも取れます。

ぼく個人としては、この意見は、
ただ「残酷」な描写はいらないという、大人の一方的な子どもへのラベリングによるものだと考えています。

絵本に対して「残酷」を理由にして、よろしくないという人が、
絵本を子どもに伝える人の中には、一定数います。

けれども、これは子どもに「こうあってほしい」という思いを押し付けているだけではないかと、
僕は考えています。

子ども達は、日々の生活の中で、様々な体験をして成長していきます。
その中で、命に触れることもたくさんあります。
子ども自身が、昆虫や魚のような生き物の命を奪ってしまうことだって、生じます。
そういった経験をとおして、生命の価値をしり、自らの価値観を形成していくのですから、
大人が、物語の中の残酷描写を避けて、子ども達に手渡すことは、
果たして、正解なのでしょうか。

ベアトリクス・ポターがお父さんの行く末を描いたのには、きちんとその意味がある。
それを読み取り、子どもに手渡すのも大人の役目では、そう思うのです。


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