『きれてる』『たれてる』と『ふしぎなナイフ』


鈴木のりたけさんの『きれてる』『たれてる』を読んでいて、
ふと『ふしぎなナイフ』のことを思い出しました。
どちらも「あり得ないことを真剣に描く」という点では同じ系譜にあるのに、
読者との距離感がまったく違うんです。

『ふしぎなナイフ』は、言葉がとてもシンプル。
説明しすぎず、語りかけすぎず、ただ“現象”を淡々と提示していく。
あの時代の空気もあって、絵と言葉のミニマルな関係性がそこにあり、
読者は、少し離れた場所からその“ふしぎ”を観察する。

一方で、『きれてる』『たれてる』は、
子ども達に話しかけるような、
「ねえ、見てよ」「ほら、こんなふうにさ」と、
絵本の中から声が飛んでくるような距離の近さがあります。
子どもを絵本の世界に積極的に巻き込もうとする、
そんな意図すら感じます。

同じ「ありえない」を描いているのに、
文章から感じる印象が大きく異なるように感じます。
この違いは、時代の変化ともつながっている気がします。
いまの子どもたちは、知らない大人に話しかけられる経験がとても少ない。
地域のつながりも薄くなり、第三者の語りかけに触れる機会が減っている。
だからこそ、絵本の中で“誰かに語りかけられる”という体験は、
実はとても貴重なのではないでしょうか。

『きれてる』『たれてる』の言葉は、子どもに向けて開かれている。
「一緒に遊ぼうよ」と誘うような、あたたかい距離感。
その語りかけが、子どもたちを物語の中へと自然に引き込み、想像力を動かし始める。

『ふしぎなナイフ』が“観察する楽しさ”を育てる絵本だとすれば、
『きれてる』『たれてる』は“関わる楽しさ”を育てる絵本。
どちらも素晴らしいけれど、子どもとの距離の取り方がまったく違う。

そして、いまの時代においては、後者のような“語りかける絵本”が、
子どもたちにとって必要な体験になっているのかもしれません。
絵本の中で、知らない誰かに声をかけられ、世界に招き入れられる。
そんな小さな経験が、子どもたちの世界をそっと広げてくれる気がします。


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