このところ、物事を一方的に捉えていて、
比較的強い言い方で、相手を責める人によく出会います。
丁寧に説明することで、誤解は解けるのですが、
中には、
「(おまえの言っていることは、)難しくて、わからない。」
と、話を中断してしまう人もいたりします。
話を振ってきたのは相手なのに・・・、と、残念に思うのですが、
そんな経験をこの1月の間に何度もしていたら、
ふと気がついたことがあります。
僕は、絵本を読んで、子ども達に手渡すことをしているのですが、
絵本もその絵本を受け取る側の感情や考え方によって、
作品そのものの意味が変わってくることもあります。
このブログでも紹介した「にゃーご」や「ちょっとだけ」は、
誰が受け取るかによって、その見方が大きく変わる絵本と言って良いでしょう。
絵本は受け取る人の数だけ、見方や思いがあって、
その思いは、間違いではない、ということは、おそらく多くの大人が納得するところでしょう。
けれども、これが別の物事になると、
「それは、間違っている」と、批判的な立場をとる人がいるのは、
おそらく、相手側がどのような考え方の経緯を経て、
その結論を導き出したのか、という過程を理解しようとする気持ちの欠如からくるのかなと、
最近思っています。
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