「聴く」ことの大切さ、


新型コロナウイルスも新規感染者は、減少傾向にあり、
まだまだ、制限はありますが、以前の日常を取り戻しつつあります。

とはいえ、収束といえるような、確たる証拠もなく、
今後、いつ再拡大するか不安を抱えながらの日々であるのも事実です。

今回のコロナ騒動で社会では様々な分断が生まれました。
「感染者」と「非感染者」、「ワクチン接種肯定派」と「ワクチン接種懐疑派」
感染拡大の初期の頃には、他県ナンバーの車両に対する圧力などなど、

これらの、事象を「コロナのせいで」と片付けてしまうのは簡単ですが、
全ては人の感情から生まれたものであり、コロナは原因ではありますが、
その行動につながったのは、人の知識不足と恐怖感に起因したものです。

SDG’sの17の目標に掲げられているうち1から6までを未定見ると人の生活をいかに平等に安全に担保するの
ということがテーマになっています。
多くの人がSDG’sに理解を示し、何らかのアクションを起こすべきだと肯定的な意見を持ちながらも、
他方では、未知の病気に対する恐怖感から、差別、分断を繰り返しているという矛盾は、
人間だからこその行動なのかもしれませんが、ちょっと寂しいと感じたりもします。

このような行動につながる知識不足が生じる理由は、
我々大人が、自らを「完成された人間」と思い込んでいることが原因なのではないかと、考えます。

仕事柄、多くの人とお話をする機会がありますが、その中には、こちらの話の意図を読み取ることもなく、
「こうすれば良いのだ」と自らの意思を押し通すことを「良し」とする大人が少なからず、存在します。

実証も実験もなく、行動もしていないけれども自らの考えを「最良」と言い切れる自信がどこから来るものなのかは、
よくわかりませんが、少なくとも他者の意見を聴かないということが、
このような行動につながっていくことは事実のようです。

僕は、子ども達に絵本を届けるという活動の中で、
子ども達が僕が読む絵本に対して「聴く」という行為で答えてくれること、
読み終わった絵本に対して、態度で表現してくれる喜びを「聴く」という形で受け取ることに喜びを感じます。

実は、コミュニケーションは「話す」から生まれるものではなく「聴く」ことから始まるのだということを
理解していれば、社会から分断の芽が生まれることは、今よりもう少し少なくなるのではないでしょうか。


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