子どもの「外面」のはなし、


「うちの子は本当に外面だけ良くて・・・」
なんていう話を娘さんと倅さんが小さいときに
周囲の皆さんに話していたことがあります。
本当に家の中では、何やってんだかよく分からないちょっとだらしない子、
というイメージだったのが、外に出ると、しっかりと受け答えをして、
大人の中できちんと話をしている姿に驚かされることが、多々ありました。

あるとき、二人の姿を見た職場の先輩から、
「子どもだって、外面、内面、使い分けて当然だよなぁ、
そうじゃなきゃ、疲れちゃうよなぁ、」
と、二人に向けて声をかけて貰ったことがあります。

この言葉が、僕には腑に落ちた、というか、
そのあと、子どもと向き合うときにいろいろ考えなくなったきっかけになりました。

二人の子ども達は、僕たち親と離れている間、
保育所という場所で、僕たちの知らない時間を過ごしている。
保育所という場所には、先生や友達と言った、
家族とは異なる関係性の他者がいるのですから、
その中で、自分の居場所を自分で作っていかなければいけません。

親のいない場所で自分の居場所を作るためにはどうしたら良いかを
体験的に学び、社会性を獲得していった結果が、
僕の「外面が良い」という言葉に結びついていったわけです。

この「外面」を旨く獲得すことが出来なかった結果が、
ここのところ話題になっている、
回転寿司をはじめとした飲食店での迷惑行為を
SNSにあげてしまう子ども達に繋がっていくのではないか、そう思っています。

彼らの行為、SNSに投稿してしまう行動は、自己表現の一貫でしかなく、
自らの力で、社会性を獲得することが出来なかった結果、
自分の起こした出来事が自らのコントロールの範疇から逸脱していることに
気づく事が出来なかったのではないでしょうか。

僕は彼らの生い立ちや、環境を知っているわけではないので、
確かなことは言えませんが、「個」でしか物事を考えることが出来ない
子ども達が増えていることはなんとなく感じています。
これは、私たち大人が、子ども達を「守らなきゃ」という意識を強く持ちすぎた結果、
社会という環境に関与する力を育てることが出来なかったという
大人が、反省する部分もあるのではないかと感じています。

結果、彼らは自らの将来に大きな負債を抱える結果になってしまいましたが、
その結果を次のステップにきちんと生かして欲しいなと思いますし、
しっかり罰を受け、償った彼らを受け入れる寛容な社会であって欲しいと思います。


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