14年経って、


今日は、倅さんの高校の卒業式でした。
3月11日の卒業式というのは、なかなかに感慨深いものが在りましたので、
その話を少し・・・

14年前の3月11日、僕は町立図書館で司書として働いていました。
大きな揺れと同時に多くの本が書架から落下、
書架がゆがんでしまったものもありました。

利用者といっしょに外に避難し、
揺れが収まるのを待ち、テレビなどで情報を収集すると、
どうやら、とんでもない規模の地震だったようです。

しばらくして、電車が止まっていること、
帰宅困難者を公民館に収容することが決まり、
受け入れ準備を始めることになりました。

その時、娘さんと倅さんは保育所に預けたままだったので、
館長から、子ども達を引き取り、自宅に送り届けてから、
今一度、帰宅困難者の受け入れ準備をするようにと指示があり、
駅のコンコースを通り、歩いて保育施設へ向かい、
子ども達を引き取りました。

昼寝をするスペースで、子ども達が肩を寄せ合って息を潜めている様は、
地震の揺れがどんなに怖かったのかを想像させるに十分でした。

二人の手を取り、来た道を戻り、自分の車に乗せていったん自宅へ、
曾祖母、祖母に二人を預け、もう大丈夫だからね、と言い聞かせ、仕事に戻りました。

子ども達にとっては、父も母も不在の家での一夜は不安だったと思います。
それでも、二人の「いってらっしゃい」の声を忘れることはないでしょう。

今日の倅さんの卒業式を眺めながら、
ふと、その時に手を繋いで帰った駅のコンコースなど、
子ども達と手を繋いでいたときの温もりが思い出されてきました。

倅さんとも娘さんとも長らく手を繋いでいないなぁ、と、
いつから、手を繋がなくなったのだろうか、と、
気がつけば、二人とも自分の将来を考えて、自分で歩き出し始めていました。

担任の先生が、最後に
「君たちが、これから先の歩みを決めたときのために、俺はもう少し頑張るよ」
と子ども達に話しかけてくれているのを見て、
僕ももう少し、君たちといっしょに歩けるように頑張ってみるよ、
と、倅さんの背中に話しかけてみました。


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