誰でもみんなちょっとずつ「あかねこ」だったりする。


サトシンさんの代表作である『わたしはあかねこ』
白い猫と黒い猫の間に生まれた1匹の「あかねこ」、
両親やきょうだい達は、赤猫を心配して、
黒い毛並みになるにはどうしたらよいか?
白い毛並みになるにはこれを試してみたら?
と色々と世話を焼いてくれます。

けれども、あかねこは、

『わたしべつにくろくなんかなりたくないの』

と、両親達の行為を受け入れつつも、どこかに違和感を感じ、
ある日、家を出て街での生活を選んでいきます。
そこでの思わぬ出会いが、あかねこの世界を大きく変えていくという物語です。

ジェンダー、LGBTQなどの人権に関する分野の教材として
よく利用される『わたしはあかねこ』ですが、

サトシンさんは、講演会等の席上において、この作品に登場する「あかねこ」は自分自身を投影したものだと、
おはなしをされていました。

他社と異なる自分に対して「異なる」ことを「かわいそう」と捉えるのは、
自分自身が、他と同じ性質を持っているからだと感じているからであって、
実は「かわいそう」という感情自体が、相手に対して押しつけている感情であって、
自己満足なのかもしれない。

しかしながら、人は誰でも他人とは「ちょっと違う」ところを持っていて、
「違う」という自分のことを不安に思っているところもあると思うのです。

『わたしはあかねこ』は、誰もが持っている「あかねこ」の感情と
他者としての感情の双方を読み手に同時に訴えることで、
自己と他者の関係性を客観視することができることが、
子どもにも大人にも「刺さる」のだと思います。


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